先日、妻が払い過ぎた料金の返金があり、平日仕事で郵便局に受け取りに行けない妻の代わりに行ってきて欲しいと言われました。
次の日、受け取り用紙を持って郵便局へ。
代理人ですか?と聞かれ、ハイと答えたら、代理人の場合は印鑑が必要になります。お持ちですか?と聞かれました。
「妻の印鑑はここに押されているし、それでも必要なんですか?」と聞いたら、必要ですと。
「免許証じゃダメ?」と聞いたらダメと。
「指印じゃダメ?」と聞いてもダメと。
これ以上はらちがあかなそうだったんで、諦めて取りに帰りましたが、正直ストレスがかなり溜まりました。
受け付けの人にイラついたとかではなく、日本のハンコ文化に嫌気がさしました。
なぜここまで日本はハンコが必要なんでしょう?
本当にハンコは今の時代に必要なのか?
印鑑ってぶっちゃけ必要ないですよね。
日本では本人の証明的な役割で使われてますが、それなら疑問に思うことも。
- 誰でも買える
- 苗字だけだから本人と特定できない
これって本人証明としては結構致命的じゃありません?つまり、ただ印鑑が押されているという形式だけが重要になってるってこと。
それならもうサインでよくない?
むしろサインの方が筆跡鑑定ってあるくらい、個人としての証明になるし。
世界中で使われているから、サインでの契約書については問題ないことが実証済み。
それでもなぜ未だに日本からハンコ文化がなくならないのか?
ハンコ業界がなくならない大きな2つの理由
ハンコが無くならない理由として印章業界の職がなくなるからというものがあります。
印章業界の規模は3000億円と大きいので。
それでも国が一度、1997年に「押印見直しガイドライン」というものを実施しようとしたところ、印章業界から強い反発にあって、結局断念したこともあり、どうも業界に強い権力をもっている人がいるような感じがしますね。
もう一つの理由は、日本は法律の中にハンコの有無に関する記述があるものが多く、ハンコをなくすには再度法律を作り直さなければいけません。
これが結構ネックになっている部分で、腰が思い政治家さんはなかなか改定してくれません。
だから日本では未だにハンコがなくならないんです。
それでも、時代に逆行しているハンコは昔に比べて規模は縮小しています。
印鑑でもサインでもいいところが増えてきていますし、今の時代クラウドサインというものも登場しています。
僕も先日実際やることがあったのですが、ネット上で名前を入力して、それが印鑑を押したのと同じ効果があるというもの。
時代はどんどん変化してるんだから、日本も重い腰を上げて、そろそろハンコがいらないように法改定してくれてもいいんじゃない?
最悪、サインでも印鑑でもどっちでもいいことにしてほしい。
筆記体のサインにあこがれる
よく海外の映画で、宿泊ホテルの受付で、ササっと筆記体でサインしている場面ってあるじゃないですか。
こんなの。
子供の頃からこれに憧れていて「カッコいいなー!いつかやりたいなー!」と思い、中学生のころ英語の時間に一生懸命カッコイイ筆記体を書く練習をしてました。笑
今でもそこそこかっこいいかわからない筆記体をかけるのですが、結局未だに海外経験がないのでやる機会はありませんが。
でも、かっこいいサインに憧れている人は僕以外にも結構いるようで、こんなカッコイイ自分の筆記体を作ってくれるサービスがありました。
一生使えるし、海外行くことになったら、絶対作ってもらおう!
あっ、でも日本でもこんなサインでササッと書いたらかっこいいか!
ハンコは数年でなくなることはないでしょう
今後も日本でハンコ文化がなくなることは難しいと思います。
それでもクラウドサインの登場など少しずつ変化の波は押し寄せてきているので、1日でも早くハンコが必要ない国になってくれることを待ちわびます。
ハンコがないと受け付けられないってお互いものすごく手間だと思うんですよ。
受け付けの人だって、毎日のようにハンコを持ってない人に、ハンコが必要と言わなくてもいいし、おそらく文句も言われることも少なくないと思います。
僕だって文句言いたいですよ。
ハンコが必要な場面って、役所で使う場合が多く、平日仕事をしている人ってなかなか行けないこと多いじゃないですか。
それなのにやっと時間の都合をつけて、自分の番になるまで長い間待たされた挙句に、ハンコないからダメですって、それはないですよね。
こんな不便なシステムは時代遅れの悪しき産物ですね。